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ながしが−(人工井)  ふしゃとが−(人工井)
多良間村字仲筋266 多良間村字塩川507
 2か所とも開さく年代は不明であるが、あま井、塩川井など自然のどうくつ井戸を使って苦労していた住民にとっては新しく井戸を開さくする必要に迫られていたことは十分考えられる。
稲村腎敷書『宮古島庶民史』によると、「現在の上野村野原の後方野原岳の中腹にある大嶽城にいた大嶽接司は前の井(まいのか−)、後の井(くすのかー)とよぶ立派な井戸を開さくした。
この井戸は立派な井戸であるが、多良間島の井戸もその技術がこれに類似しているから、この頃開さくされたものでしょう。」と、ながしが−、ふしゃとがーの石工技術をたたえている。

構造は、ながしがー、ふしゃとがーとも類似している。何れも人口は北向きで南に向かっており、次は北東に曲がって、さらに東へおりる所にか−がある。その周璧の石垣造りは堅固に造られている。   
村人の労力によって造られたことは、言うまでもないことで、石工は、与那覇春道家の先祖であるとの伝えもある。この両井戸は「多良間世」の歌にも歌われて住民の生活に密着している。祖先の残したくらしに歴史をさぐるよい史跡である。

1883年5月26日多良間村指定史跡