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池田矼  いけだばし 
宮古唯一のアーチ型石橋。古くは16世紀頃の建造であろう。しかし、橋梁的橋ではなかったと思われ、1727年の記録にある池田矼が橋梁的橋の初見。その後改修が行われ、現在の橋は1856年に福原筑登之によって施行された。

 異国船  いこくせん
琉球と異国船との出会いは、以外と古い。1543年(1549年説あり)にポルトガル人ピントが、漂着したといわれるが信憑性は定かでない。その後、アダムスが1614年那覇に寄港。17世紀には八重山に来島したルエダ神父、読谷にドミニコ会士ゴンザレス、宮古、八重山に異国船が漂着している。19世紀には目的意識的な寄港が多い。この頃の代表的に異国船に、プロビデンス号、ライラ・アルセスト号、ブラッサム号、サマラン号、ペリー艦隊がある。

一向宗法難事件   いっこうしゅうほうなんじけん 
1854年と1876年の二度にわたって一向宗(真宗)の布教者と信者が弾圧を受けた事件。一向宗は、当時キリスト教と共に禁止の対象。1854年の事件の首謀者は、仲尾次政隆で、1876年は備瀬知恒、共に八重山に流刑になった。

石垣永将
八重山キリシタン事件の当事者で、近世初頭には頭もつとめた。後に隠居中、スペイン船で来島した、ルエダ神父と交流し、キリシタンの嫌疑をうけ、火あぶりの刑で処刑された。財力、文武に秀でた人物であったといわれる。

オヤケアカハチ
15世紀末の八重山の豪勇。波照間島に生まれ、長じて大浜に居をかまえ、大浜地域の支配者となった。首里王府とも対立し、宮古の仲宗根豊見親とも不仲であった。貢租を未納して、王府から討伐された。しかし当時先島は首里王府の版図ではなく、貢租未納説は疑問である。
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