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中山世譜      ちゅうざんせいふ
琉球の正史で、蔡鐸本、蔡温本の二種類ある。一般に中山正譜という場合、蔡温本をさす。康煕40年(1701)完成したが、その後も書き継ぎが行われ、1712年の記事まで収録されている。対中国関係を中心とした王の事跡を記す正巻五巻と薩琉関係一巻、附巻からなる。
中山世鑑  ちゅうざんせいかん
1650年の成立。全五巻からなる琉球最初の正史で羽地朝秀の編述。巻一は、舜天王統、巻二は英祖王統と察度王統、巻三は尚巴志王統、巻四は尚円王統の記録、巻五は、尚円王統の尚清王の記録。なぜか尚真王に関する記録がない。
中山伝信録  ちゅうざんでんしんろく
1719年に来琉した冊封使徐葆光が残した冊封使録。1721年の刊行。六巻からなり、第一巻は航海、第二巻は琉球における公式行事、第三巻は中山の世系、第四巻は琉球の地理、第五巻は官制や宗教など、第六巻は風俗や言語について、記されている。
脱清人   だっしんじん
琉球処分に反対し、清国に秘密裡の渡り、琉球王国の復旧運動を行った人々を脱清人という。1872年、琉球藩が設置され、さらに琉球藩の廃止が政治日程にのぼると、脱清人があらわれ始めた。幸地朝常・林世光らが代表的人物である
豊見親   とぅゆみゃ
15世紀から16世紀初頭にかけて宮古各地に存在した小共同体の支配者の称号。今日でも、偉人をさす場合につかうことがある。歴史上の人物に、仲宗根豊見親、金志川豊見親、与那覇勢頭豊見親などがい
独逸皇帝博愛記念碑   どいつこうていはくあいきねんひ
1873年ドイツ船ロベルトソン号が、宮国沖で遭難したとき、島民に乗組員が救助されたことに感謝するドイツ皇帝の感謝碑。1876年建立。平良港から市街へ上る途中右手にある。縦170cm横60cm。碑文はドイツ語と漢文。
遠見番(遠見台)  とおみばん
烽火の制度(遠見番)は、江戸幕府の鎖国・海防体制の1664年に始まったといわれる。しかし、後には冊封船・琉球国内船の運行管理に主に使用され、村人が遠見番としていた。特に、離島の多い宮古・八重山には多い。
北谷朝暢
尚質王代の三司官。1663年、尚質王冊封の王舅(謝恩使)として渡唐する。在唐中後から渡唐してきた慶賀船で、毒殺事件や金壷盗難事件が発生し、最高責任者としての責任を問われ、処刑された。子供も流刑となった。
土原豊見親
16世紀初頭の多良間島の英雄。童名はおぞろ、名乗りは春源。アカハチの乱に際して、仲宗根豊見親とともに王府軍に従軍した。御嶽に創建や漁法を開発したといわれ、土原豊見親のニーリや多くの説話が残っている。